金曜ロードショーで初めて見ました。
評判より断然楽しめました。これなら映画館いけばよかったかな。
舞台は蒸気自動車の走るヨーロッパ。帽子屋の娘が、魔法使いの争いに巻き込まれて、90歳の老婆になってしまうところから物語は始まります。
全体的な描写不足は感じました。なぜそういう行動をするの? なぜどこに行くか分かるの?
とにかく、これからどうなってしまうのか画面に釘付けのまま、物語中盤まで勢いで進んでいきます。不思議な家に入り込んでからの、ユーモラスな住人との会話とか、お城のからくりとかは、千と千鶴の神隠しのような雰囲気が楽しめました。
老婆になってからの順応性は、ふつうならちょっと感情移入は厳しいものがありますね。人格的に完成されてる人間なら、まず家族や隣人に助けを求めるのが自然だと思うし、逃げ出すほど心が追い詰められていたなら、途中で力尽きてしまうはず。綱渡りのような状態でも元気を出せた精神はどこから来たのか。
そういえば、わたしは小さい頃、ある遊びをしてました。今日は右手がない日。今日は左足がない日。今日は目が見えない日。食べ物がない日、水がない日、エンピツがない日、ハサミがない日、道路がない日、とかもやってたかな・・・。空気がない日はちょっと無理でした。息を止める練習をしたくらい。
きっかけは、自分が何も悪くなくても、事故でそうなることもあると知ったからです。わたしは幸い五体満足で健康ですが、その怖い考えにしばらく捕らわれていました。
ある日突然90歳になってしまうことに順応できる精神。あの帽子屋の作業部屋で、へんな妄想癖によって錬られたのかもしれませんね。
まーとにかく楽しめました。ひょっとしたら宮崎駿監督の最後の作品かもしれないと思うと、不完全燃焼なところもありますが。
ハウルの心の動きがしっくりこない点。カカシや火の悪魔などの脇役のほうがよほど感情移入できます。
ハウルの師匠の存在そのもの。どう見てもやってることは血まみれの覇道なのに、最後は物分りよくハッピーエンド。19世紀の魔術師メイザースと結社との争いみたいな結末なら納得いくのですが。
こういう感想は、風の谷のナウシカの映画を見たときにも感じましたね。原作マンガを読んで謎が解けましたが。
話を詰め込みすぎてこうなっちゃったんでしょうね。
ゲド戦記は映画館で見ようかな。
2006年07月21日
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『千と千鶴』になってますよ。
正しくは、『千と千尋』です。
ヒロインにかけられた呪いは、精神年齢がリアル年齢になると言う呪いだったのだよ
ハウルに恋をする事によって、若返ったり皮肉になるとババアになったりしたのよよよ
元々の生活が、派手な姉妹の中で自分だけ地味だったから、その心が染み付いてて中々戻らなかったと言う言う言う言う言う言う
呪いななななるほほほほど